小柴明さんとお出会いしたのは4年前。
フィドルのライブにお越しくださいましたのがきっかけでした。
3代にわたって町で映画館を営まれていたというのが
なんとなく解る、ちょっとバンカラ?な感じの人で、
情熱のある語り口調の方で、
かっこいいおじさまという雰囲気の方でした。
今は読売新聞で地域のミニコミ紙を毎週書いておられて
その頃、何度もフィドルを取り上げてくださいました。
それから、癌が進んでいて、手術が出来ず
余命が長くないこと、
残りの人生、何をしたいかと自問自答して
音楽をやりたいと思ったこと、
以前から縁のある方々を誘って
ハワイアンバンドを立ち上げたということを話してくださいました。
彼は学生時代にしていたスティールギターの練習を
真剣に始められました。
フィドルにもゲスト出演していただきました。
ご本人も精力的にコンサートを企画され、
ホテルでのコンサート
佐川満男さんの前座
東日本大震災のチャリティーコンサートなどを
企画してくださって ご一緒させていただきました。
*2011年1月17日のブログ記事
「YOMIURIアロハコールズ主催パーティー」
http://saudade.jp/fiddle/dwf/2011/01/yomiuri.html
*2011年6月21日のブログ記事
「チェリティーコンサート」
http://saudade.jp/fiddle/dwf/2011/06/post-14.html
重い病気とは思えない、生き生きしたご様子で
会場を飛び回り、そして演奏をされました。
そして、いつもお客さんも満員になるほど、
頑張って集めて来られました。
「薬より音楽の方が病気に効く」と笑って語っておられました。
小柴さんの訃報は新聞で知りました。
9/17に旅立たれたそうです。
20日のお葬式にはたくさんの方が来られていました。
病気と戦いながら
音楽を、ミニコミ紙を、生きるパワーに変えて
最後まで頑張って生きた小柴さんの晩年の生き方に心打たれ
感動につつまれたお葬式でした。
いよいよ旅立ちで、参列者のみなさんの見守る中、
少しレトロな黒塗りの車に運ばれるその時、
苦楽を共にしたアロハコールズのDVDが流され、
愛娘さんがいつもライブの時に演奏していた
「ハワイアンウエディング」のピアノが響いていました。
映画のワンシーンのようでした。
娘さんの来月の結婚式に演奏するのを楽しみにされていたのだと
参列の方がおしゃっていました。
ミニコミ紙は、亡くなる3日前まで出されていて
400枚近い全てのミニコミ紙が置かれていました。
それをめくりながら
最後までやり抜くということの重さを、
ひしひしと感じました。
お会いできたこと、たくさんお話してくださったこと
忘れません。
感謝でいっぱいです。
尾崎紀世彦/ハワイアン・ウエディング・ソング(ハワイ語、英語)
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